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2006年春に神主を辞め、某弱小会社に入社するも、たったの10ヶ月で鬱病になり2007年3月で退職。半年の休養を経て現在は営業事務としてある業界では有名な会社で正社員として働いています。元神主だったので、それに纏わる忌まわしいネタも公開しつつ、有難さ-127%でお送り致します。
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 ヤフオク始めてからもうすぐ4年になろうとしています。ほぼ落札者専門ですが、ここ1年はたまに出品者になっていることもあります。
 元はといえば無職になって金がないので、二束三文でも良いから現金収入が欲しいというのが始まりです。で、その間に関わった人にも色々なのがいたなあということで、今回のネタ。

①かんたん決済のやりかたが分からない落札者。

 だったら他の銀行振り込みとかにすればいいのに。しかも取引ナビ経由で僕にやり方を聞いて来る。しょうがいないので事細かに説明する羽目になりましたが、無事に取引終了。
 正直説明代で100円くらい取りたいと思いました。


②連絡してこなかった挙句に非常に悪いを返してきた。

 散々連絡したのに音信不通だったので、しょうがなく出品者都合で削除したら、5分後に非常に悪いを返してきやがりました。ちなみにこの人は新規。
 ああ、こういうのがいるから「新規お断り」のオクが多いんだなあと悟りました。ちゃんとすぐに連絡してくれる人が殆どなんですけどねー。

③口座番号を間違えて教えてきた出品者。

 ゆうちょ銀行の番号の下一桁が間違ってました。入力したのに該当の口座がなく、もう1度トライしてもやっぱりない。結局力技で正解の番号を探り当てました。間違っているとしたら最後の辺だろうってことで。

④口座番号の記号を教え忘れた出品者。

 またゆうちょ銀行です。口座番号は記号と番号があるのですが、番号だけ連絡した来た。勿論これでは入金できないので、こっちから連絡。このやり取りで2日くらい経過した。

⑤入金額が足りない落札者。

 何故か金額が足りないまま入金した来た人がいました。数百円単位で違ったので、再度入金してもらいましたが手数料が2度もかかって大変だったのではと思います。

 大した話はないのですが、総じて出品した側の方が大変です。連絡するのも一苦労。同時に何個も出していると訳が分からなくなってきます。質問が来てもどれだか分からないくらいに。
 最高同時に30くらいの取引したことがありますが、すんごい大変でした。発送するのも1度じゃ行けなかったりして、何回か往復。いつも同じ郵便局に行くのもアレなので、幾つか使い分けてみたり。
 最近は会社のそばの1箇所だけ使っているので、局員さんに謎の男として怪しまれているかも知れません。明らかに宛先も発送社も個人名だし。オクって気付くかな?
 たまに直営店にも行っていたので、そこでも怪しい男って思われていたのかもなあ。最近は行きませんが、大物の商品の時は自転車で直営店に行きます。仕事の合間に発送するのは、小さいものや軽い物だけです。

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 今日も昼起き、今日も引きこもり、そして今日も離職票来なかった………。コレといった出来事もないので思い出話おば。

 高校2年になった。7クラスあったはずが6クラスになっていたので、1クラス分の生徒が退学or留年したのかあ、と妙な感慨に耽った。中学までは公立の義務教育だから退学や留年なんて見たこともない。その話しにしか聞いたことのないものを、纏めて見せ付けられたことになる。予想より結構な人数いるんだなあと思った。
 新しいクラス表を見ると、見事に仲の良かった連中とは引き離されており、新クラスには知り合いが誰もいない状態。新クラスでは席の近い人とたまに喋る程度で、基本的に仲のいいヤツがいた他のクラスに遊びに行きまくっていた。授業の合間の10分休憩は勿論、昼休みなんてず~っと他のクラスにいた。
 新クラスに僕がイマイチ馴染めなかったから、というわけではないが何となく纏まりのないクラスではあった。昼休みなどに僕が稀にクラスに物を取りに行ったりすると、クラスには35くらいの席があるのに人は5人くらいしかいないような有様だった。しかもその僅かな人々は各々の席で寝ているのである。隣のクラスからや廊下からは楽しく喋る声が響いているのに、僕のクラスだけは静寂に包まれていた。酷いときはクラスが完全に無人であることも少なくなかった。

 そんなクラスではあったが、このクラスでの遠足で僕は彼女と出会うことになる。それまで全く面識がない状態だったのだが、たまたま遠足先で猫を触っていたところ僕同様に猫好きであった彼女が猫触りたさに寄ってきて、意気投合。まずは仲良しの友人になった。多分それが5月頃?
 その後秋の修学旅行(残り1年以上あるのに修学っていうのも何だけど)で沖縄に行った後に付き合い始めた。
 この修学旅行だが、1年1学期の時点ではまだ何処に行くか不明だったのだが、2学期頃に沖縄と決まって少し残念だった。個人的には涼しい北海道に行きたかったのに。
 関係ないが中学3年の卒業遠足は、例年はディズニーランドだったのだが、1年上の先輩が万引きして捕まった(っていっても補導だと思うけど)為出入り禁止になり、まだフジヤマが完成する前の富士急ハイランドに行くという悲しい遠足だった。トドメにジャージのデザインが新しいのに変わる1年前に入学した為、後輩は格好良いデザインなのに、僕らは卒業までダサいジャージという悲劇にも見舞われた。
 10月とはいえ暑い中沖縄に行った。ホテルの窓には「窓を開けるとハブが入ってきますので、開けないで下さい」という恐ろしい文言があるスリリングな旅の始まりである。
 羽田空港に集合して飛ぶのだが、副班長である僕は空港に集合時間5分前に到着した。しかし班員は見事に全員揃っており、班長だった彼女に「榊原くんが来ないってみんな心配してたよ」と言われてしまった。みんな早すぎ。ただでさえ集合時間が離陸1時間30分前なのに。
 この沖縄旅行だが場所が場所だけに、戦争についての学習にも重点がおかれていた。これが1部の生徒から非常に嫌がられていた。というのも中学の修学旅行が広島であり、そこでも散々見せられた。原爆資料館に行って具合が悪くなった。また戦争?という不満である。正直中学も広島だった人が半数近くいたようで、修学旅行はちゃんと楽しませて欲しいと言っていた。確かに中・高共に戦争一色っていうのはちょっと………。
 戦争学習ならまた別の機会にやってくれてもいい気がする。

 本当に戦争色の強い修学旅行でした。何しに行ったんだか、って感じでしたけど。
 修学旅行が終わると、程なく受験生モードに入ります。推薦・一般入試関わらずに4大を目指す人が少なく、大半が推薦で専門学校といった人なので本当に受験生な人は多分30人くらいしかいなかったと思われます。国立公立狙いは0人だと思う。
 その僅かな人数に含まれた僕。この時点では歴史の勉強しようかなー、と幾つかの私立大学の推薦入試を狙っていた。
 僕が神道学科の存在を知るのは3年の夏休み終わり頃のことだった。

 全く関係ないが、この年に僕の学校の真横でドラマの撮影があり、木村拓哉が来ていました。結構小柄な人だった。
 そう思ったのは僕だけではなかったらしく、英語教諭が試験問題に「木村拓哉は思ったより小さかった、を英訳しなさい」という問題を出題していた。ちなみにこの教諭は夏休みの宿題に英語ドリル1冊を提出するように、と言ったのに2学期になっても回収しないまま終わった人である。忘れていたのか何なのか。一応必死に解いたものの、下手に回収されて採点されても困るなあと考えた生徒達は、誰一人として「回収しないんですか?」と尋ねるものはいなかった。
 無事に高校に合格したものの、春休み中は結構不安だった。何しろガラが悪いと評判のある高校である。僕の中でのイメージは金八先生に出てきた「腐った蜜柑」の学校が浮かんでいた。釘バット持った学生がうろつき、ガラスや壁はあちこち壊れているような学校。
 果たしてそんな高校に入って僕は無事でいられるのだろうか?
 ひょっとしてパシリデビュー?

 様々な不安を胸に入学式を迎えた。聞いていた通り茶髪率というか金髪率は高かった。女子のスカート丈も無駄に短い。ピアスも結構いる。
 外見ではちょっと怖そうに見えたものの、話せばみんな普通の高校生なのである。僕の不安は杞憂に終わった。ガラは確かに悪いけど人間的に問題ありなわけではなかったのだ。まあ廊下やトイレにタバコの吸殻が落ちてたけど、別にタバコくらいなんでもないだろうと思っていた。
 無許可バイト率も高かったのだが、あまりにその数が多かったせいなのか先生方には取り締まる意志はなく、放課後に文化祭の準備中に「あ、バイト行かなきゃ」と生徒が言うと、「気をつけて行って来いよー」と送り出していました。ゆるくて居心地は良かったと思う。

 高校生になったわけだが僕は特に部活にも入らず、塾にも行っておらず、バイトもしていなかった。放課後は友達と遊んだり、家でゲームしたり本読んだりと勉強しない堕落した生活をしていた。
 そんな生活をしながら迎えた1年1学期の中間試験。終了後には全科目総合順位と各科目の順位が本人にだけ伝えられ、総合順位は上位10名、各科目だと上位5名分の名前が張り出される。あくまでクラス内だけで学年順位の発表はなかった。
 この発表では驚くべきことに僕が総合第8位と出ていた。科目によっては1位だったりする。全員で36人中一桁とは僕にしては快挙だった。
 この時思ったのだ。勉強しなくても8位取れるならちょっと勉強すれば3位内になれるんじゃないかと。これを契機に以前までに比べれば多少は勉強するようになった。多少だけど。

 1年時はクラスが7クラスあったが2年時には退学と留年者の分人数が減り、6クラスになっていた。その退学・留年を多数排出したのが僕のクラスだった。1年のクラスで最も駄目なクラスが僕のいた1年5組だった。遅刻と欠席は多数おり、常に空席が存在した。
 1学期中はそこそこちゃんと来ていたのに、夏休み明けからさっぱり来なくなる人が何人かいて、3学期中に退学していった。僕の友人もその中にいた。2学期は2日しか来ないでいたので、他の友人と共に心配していたのだが、3学期に入ってから担任の先生に友人達と共に呼び出されて、「あなた達はあの子と仲良かったから伝えておくけれど、1月31日で退学することになったから」と伝えられた。やっぱりといえばやっぱりなんだけど。
 その後、友人の1人が彼を渋谷で見かけたという人がいた。何でも仲間達と共に道端に座ってビニール袋を口に当てていたらしい。薬? その後の目撃例はない。

 1年から2年に上がる時には僕のクラス36人中2人が自主退学、5人が留年という結果だった。この事を他の学校の人に話すと驚かれる。何でも退学なんて学年に1人いるかどうか、留年なんて滅多にいないしクラスが1個なくなるなんてありえない、だそうです。
 駄目なクラスにいたおかげか、1年時の成績はそれまでで最高のものになっていました。オール4はいってたと思う。生まれて初めての5を経験。この調子で頑張れば推薦入試も可能では?と思ったりしたのですが、調べてみたら指定校推薦では目ぼしい学校はなかったので、普通の推薦か普通に受験しかないなあと1年の時点で思っていました。確か1年の面談でもそう話した気がする。
 そもそも進学率が低い高校なので、指定校推薦の4年制大学は4箇所くらいしかなく、微妙な学部や学科が多かったので没。短大や専門学校は考えていなかったので没。
 当時の希望は漠然ととにかく4年制で学部は歴史か心理学系の学部。出来れば自宅から通える所だった。理系は金がないから絶対無理だし、予備校とかも行けないだろうから独学でなんとかなりそうな文系を狙っていたという、高1の割には生々しいというか現実を見据えた展望を持っていたようです。

 高校1年生。そこそこ勉強する習慣を身につけた。そういえば生まれて初めての定期券通学開始。
 昨日のブログで高校のことを色々思い出したので、ボケて忘れる前にどんな学校だったのかを思い出してみることにする。
 
 僕が通っていたのは都立高校、学区内で下から4番目だか5番目程のレベルで、偏差値は約50という低い学力の学校だった。
 受験時に何処の学校に行こうか考える時の基準は、
 
 ①私服じゃない所(衣装代が掛かって大変そうだから)

 ②共学であること(男子校はなんとなく大変そうだ)

 ③公立であること(これが最重要項目。金がないから)

 その結果選び出されたのが我が母校だった。他にも2校くらいが最終選考に残ったのだが、1校は私服であることが判明して没。もう一校は説明会に行ってみたら、

「この学校にはプールがありませんので、夏は柔道をやっています。グラウンドも狭いので、体育祭は他所のグラウンドを借りて行います」

 という説明を受け、夏場に柔道なんてしたくないという理由で没。あとはグラウンドだけでなく、校舎自体が随分と手狭だったのが理由です。

 こうして僕は母校を受験することに決めたのだが、中学時の僕の成績はあまり良くなかった。流石に1は取った事がないが、平均で2.5である。内申点は23である。ちなみに母校受験の平均内申点が25.つまり僕は試験で内申点2点分を挽回する必要があった。僕は合格者平均点より20~30点上の点数を取らなければならないという、結構ギリギリの受験をすることになったのだが、当時の僕はイマイチその重大性を理解していなかった。そのおかげで緊張せずに受験できたのは良かったのかも知れない。但し、その重大性を十二分に理解していた担当教諭は、かなり心配そうにしていたのを記憶している。うっかり高校浪人にしたらエライこっちゃと怯えていたに違いない。今更ですが心配かけてすいません、小川先生(地学担当)。

 とりあえずリスクのある受験だったが、受験当日に「多分合格するだろうなあ」と勝手に思っていた。というのも僕が受験で使った教室を見てみると、欠席者が四捨五入すれば10くらいの数いたのである。公立受験をすっぽかすのもすごいと思うけど、1教室につき数人は欠席なら倍率はどんどん下がるから多分大丈夫だと思ったのだ。
 案の定僕は無事に合格を果たした。ちなみに僕の中学から同校を受験したのは15人くらいいて、そのうち僕を含め11人が合格した。あれでも4人落ちたのか………とおかしな感心のしかたをした。でも中学生で髪を緑に染めて、頻繁に休んでれば落ちるだろうよ。もう少し受験するレベル下げた方が良かったんだと思う。
 折角僕の中学から11人も合格したのに、この中に友人は一人もいなかったのが残念でした。
 何にしろ無事に僕は高校入学を決めた。

 余談ですが、僕は本当に勉強しない子供でした。しかし読書好きのおかげか、国語と歴史だけ偏差値が68とか72だったおかげで合格出来たんだと思います。読書はしておくもんですね。
 本日は心療内科の診察日。都内某所の診療所に向けて自転車で20分程走り、予定時間の45分前に駅に到着。あまり早く行っても迷惑だろうと思い、まずは本屋で「エスペリダス・オード」と「ひなぎく見参」を購入しました。
 本を買い終わった所で診療所に向かい、10分前到着。丁度良い時間に着きました。5分程待ったところで順番が廻ってきた。
 そして目出度く本日で治療終了となりました。良かった良かった。
 最後に聞くまでもないけど聞いてみました。

「数日前に前の職場から夏になったらバイトで働かないか、って言われたんですけどやっぱり断った方がいいですよね?」

 先生は一瞬笑顔のまま凍りつき、

「それは危険ですね。他の職業に就いた方が良いですよ」

 やっぱりそうですよね。断っておいて良かった。

 診察後に無印良品で棚の見本を見てみたかったのですが、目的の棚だけ見本がなかった。しょうがないから明後日の試験終了後に吉祥寺の無印良品に行ってみるか。とりあえず無印の雑誌っぽいフリーペーパーを手に入れたので満足です。でも次号からはネットのみで閲覧可だそうです。
 昔あった無印の無料雑誌は2回で廃止でしたがね。とりあえず次回のも楽しみに待っています。

 用事は全て済ませて自転車で帰る途中、進行方向からどっかで見たような女性が僕と同様に自転車を走らせている。ああなんか大学2年くらいまで付き合っていた元カノに似てるんだ、と思って良くみたら本人でした。
 幸い向こうはカゴから落ちそうになっている鞄を押さえるのに必死で、多分僕には気付いていませんでした。
 確か獣医になりたいと北海道の獣医学部を目指して2浪していた時に分かれたのですが、見た感じ多分獣医ではなさそう。ひょっとしたら東京の大学に入り、東京で就職した可能性もありますが、思いっきり平日にうろついているあたりそうでもなさそう。
 ひょっとしたらフリーターかも知れない。
 何にしろ元気そうでなによりです。

 この彼女とは高校2年から付き合っていたのですが、同じ学区内の為家はそう遠くありません。僕が大学入ってから引っ越したものの距離は殆ど変わらないので、直線距離にして3キロくらいです。
 今回意外にニアミスしたのは2回ありますが、気付かなかっただけで他にも結構ニアミスしてるんじゃないかと思います。買い物する範囲も被っているだろうし、良く使う本屋も多分同じ。怖くて声は掛けられないけどね。でも真横で立ち読みしてたら、懐かしさから声掛けそうかな。高校3年の時はクラスが違ったので同窓会で会う可能性はないからなー、というか僕の母校の同窓会の話は1度も聞いたことがない。そもそも高校自体が廃校になっているので、このまま永遠にないのではないかというのが級友達と話しています。引っ越したから僕の連絡先も不明だろうし、でも僕の友人も海外住まいなのでやっぱり連絡は付きそうにない。

 わー、何だかリアル「秒速5センチメートル」。僕は特に振り返りはしなかったんですけど、久しぶりに喋ってみたい気はします。分かれた時点でお互い携帯を持っていなかったので、気軽に電話出来ませんけどね。

 そういえば昨日注文した「雲のむこう、約束の場所」のサントラがもう届きました。早いなあ。これからサントラ聞きながら簿記3級の勉強します。追い込みだ~、過去問だ~。
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榊原恭一郎
性別:
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職業:
営業事務
趣味:
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自己紹介:
大卒後神主×年→無職2ヶ月→会社員10ヶ月→鬱病になって療養しつつ無職6ヶ月→念願の事務職に就職。
2回連続問題ありで離職率の高い職場を選んで体を壊しているので、次こそはマトモな所を狙って就職活動したつもりです。超アナログではあるけど居心地は悪くないと思う。
 夢は経理事務だったけど営業事務職、年収300万以上を夢見た結果、その夢は叶う職場(のはず)です。求人票に嘘がなければね。

 そんな駄目人間風味のコーヒー飲まないスターバックスファンのブログ。スタバグッズ蒐集が趣味。他にも色々集めてます。
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