2006年春に神主を辞め、某弱小会社に入社するも、たったの10ヶ月で鬱病になり2007年3月で退職。半年の休養を経て現在は営業事務としてある業界では有名な会社で正社員として働いています。元神主だったので、それに纏わる忌まわしいネタも公開しつつ、有難さ-127%でお送り致します。
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今日も昼起き、今日も引きこもり、そして今日も離職票来なかった………。コレといった出来事もないので思い出話おば。
高校2年になった。7クラスあったはずが6クラスになっていたので、1クラス分の生徒が退学or留年したのかあ、と妙な感慨に耽った。中学までは公立の義務教育だから退学や留年なんて見たこともない。その話しにしか聞いたことのないものを、纏めて見せ付けられたことになる。予想より結構な人数いるんだなあと思った。
新しいクラス表を見ると、見事に仲の良かった連中とは引き離されており、新クラスには知り合いが誰もいない状態。新クラスでは席の近い人とたまに喋る程度で、基本的に仲のいいヤツがいた他のクラスに遊びに行きまくっていた。授業の合間の10分休憩は勿論、昼休みなんてず~っと他のクラスにいた。
新クラスに僕がイマイチ馴染めなかったから、というわけではないが何となく纏まりのないクラスではあった。昼休みなどに僕が稀にクラスに物を取りに行ったりすると、クラスには35くらいの席があるのに人は5人くらいしかいないような有様だった。しかもその僅かな人々は各々の席で寝ているのである。隣のクラスからや廊下からは楽しく喋る声が響いているのに、僕のクラスだけは静寂に包まれていた。酷いときはクラスが完全に無人であることも少なくなかった。
そんなクラスではあったが、このクラスでの遠足で僕は彼女と出会うことになる。それまで全く面識がない状態だったのだが、たまたま遠足先で猫を触っていたところ僕同様に猫好きであった彼女が猫触りたさに寄ってきて、意気投合。まずは仲良しの友人になった。多分それが5月頃?
その後秋の修学旅行(残り1年以上あるのに修学っていうのも何だけど)で沖縄に行った後に付き合い始めた。
この修学旅行だが、1年1学期の時点ではまだ何処に行くか不明だったのだが、2学期頃に沖縄と決まって少し残念だった。個人的には涼しい北海道に行きたかったのに。
関係ないが中学3年の卒業遠足は、例年はディズニーランドだったのだが、1年上の先輩が万引きして捕まった(っていっても補導だと思うけど)為出入り禁止になり、まだフジヤマが完成する前の富士急ハイランドに行くという悲しい遠足だった。トドメにジャージのデザインが新しいのに変わる1年前に入学した為、後輩は格好良いデザインなのに、僕らは卒業までダサいジャージという悲劇にも見舞われた。
10月とはいえ暑い中沖縄に行った。ホテルの窓には「窓を開けるとハブが入ってきますので、開けないで下さい」という恐ろしい文言があるスリリングな旅の始まりである。
羽田空港に集合して飛ぶのだが、副班長である僕は空港に集合時間5分前に到着した。しかし班員は見事に全員揃っており、班長だった彼女に「榊原くんが来ないってみんな心配してたよ」と言われてしまった。みんな早すぎ。ただでさえ集合時間が離陸1時間30分前なのに。
この沖縄旅行だが場所が場所だけに、戦争についての学習にも重点がおかれていた。これが1部の生徒から非常に嫌がられていた。というのも中学の修学旅行が広島であり、そこでも散々見せられた。原爆資料館に行って具合が悪くなった。また戦争?という不満である。正直中学も広島だった人が半数近くいたようで、修学旅行はちゃんと楽しませて欲しいと言っていた。確かに中・高共に戦争一色っていうのはちょっと………。
戦争学習ならまた別の機会にやってくれてもいい気がする。
本当に戦争色の強い修学旅行でした。何しに行ったんだか、って感じでしたけど。
修学旅行が終わると、程なく受験生モードに入ります。推薦・一般入試関わらずに4大を目指す人が少なく、大半が推薦で専門学校といった人なので本当に受験生な人は多分30人くらいしかいなかったと思われます。国立公立狙いは0人だと思う。
その僅かな人数に含まれた僕。この時点では歴史の勉強しようかなー、と幾つかの私立大学の推薦入試を狙っていた。
僕が神道学科の存在を知るのは3年の夏休み終わり頃のことだった。
全く関係ないが、この年に僕の学校の真横でドラマの撮影があり、木村拓哉が来ていました。結構小柄な人だった。
そう思ったのは僕だけではなかったらしく、英語教諭が試験問題に「木村拓哉は思ったより小さかった、を英訳しなさい」という問題を出題していた。ちなみにこの教諭は夏休みの宿題に英語ドリル1冊を提出するように、と言ったのに2学期になっても回収しないまま終わった人である。忘れていたのか何なのか。一応必死に解いたものの、下手に回収されて採点されても困るなあと考えた生徒達は、誰一人として「回収しないんですか?」と尋ねるものはいなかった。
高校2年になった。7クラスあったはずが6クラスになっていたので、1クラス分の生徒が退学or留年したのかあ、と妙な感慨に耽った。中学までは公立の義務教育だから退学や留年なんて見たこともない。その話しにしか聞いたことのないものを、纏めて見せ付けられたことになる。予想より結構な人数いるんだなあと思った。
新しいクラス表を見ると、見事に仲の良かった連中とは引き離されており、新クラスには知り合いが誰もいない状態。新クラスでは席の近い人とたまに喋る程度で、基本的に仲のいいヤツがいた他のクラスに遊びに行きまくっていた。授業の合間の10分休憩は勿論、昼休みなんてず~っと他のクラスにいた。
新クラスに僕がイマイチ馴染めなかったから、というわけではないが何となく纏まりのないクラスではあった。昼休みなどに僕が稀にクラスに物を取りに行ったりすると、クラスには35くらいの席があるのに人は5人くらいしかいないような有様だった。しかもその僅かな人々は各々の席で寝ているのである。隣のクラスからや廊下からは楽しく喋る声が響いているのに、僕のクラスだけは静寂に包まれていた。酷いときはクラスが完全に無人であることも少なくなかった。
そんなクラスではあったが、このクラスでの遠足で僕は彼女と出会うことになる。それまで全く面識がない状態だったのだが、たまたま遠足先で猫を触っていたところ僕同様に猫好きであった彼女が猫触りたさに寄ってきて、意気投合。まずは仲良しの友人になった。多分それが5月頃?
その後秋の修学旅行(残り1年以上あるのに修学っていうのも何だけど)で沖縄に行った後に付き合い始めた。
この修学旅行だが、1年1学期の時点ではまだ何処に行くか不明だったのだが、2学期頃に沖縄と決まって少し残念だった。個人的には涼しい北海道に行きたかったのに。
関係ないが中学3年の卒業遠足は、例年はディズニーランドだったのだが、1年上の先輩が万引きして捕まった(っていっても補導だと思うけど)為出入り禁止になり、まだフジヤマが完成する前の富士急ハイランドに行くという悲しい遠足だった。トドメにジャージのデザインが新しいのに変わる1年前に入学した為、後輩は格好良いデザインなのに、僕らは卒業までダサいジャージという悲劇にも見舞われた。
10月とはいえ暑い中沖縄に行った。ホテルの窓には「窓を開けるとハブが入ってきますので、開けないで下さい」という恐ろしい文言があるスリリングな旅の始まりである。
羽田空港に集合して飛ぶのだが、副班長である僕は空港に集合時間5分前に到着した。しかし班員は見事に全員揃っており、班長だった彼女に「榊原くんが来ないってみんな心配してたよ」と言われてしまった。みんな早すぎ。ただでさえ集合時間が離陸1時間30分前なのに。
この沖縄旅行だが場所が場所だけに、戦争についての学習にも重点がおかれていた。これが1部の生徒から非常に嫌がられていた。というのも中学の修学旅行が広島であり、そこでも散々見せられた。原爆資料館に行って具合が悪くなった。また戦争?という不満である。正直中学も広島だった人が半数近くいたようで、修学旅行はちゃんと楽しませて欲しいと言っていた。確かに中・高共に戦争一色っていうのはちょっと………。
戦争学習ならまた別の機会にやってくれてもいい気がする。
本当に戦争色の強い修学旅行でした。何しに行ったんだか、って感じでしたけど。
修学旅行が終わると、程なく受験生モードに入ります。推薦・一般入試関わらずに4大を目指す人が少なく、大半が推薦で専門学校といった人なので本当に受験生な人は多分30人くらいしかいなかったと思われます。国立公立狙いは0人だと思う。
その僅かな人数に含まれた僕。この時点では歴史の勉強しようかなー、と幾つかの私立大学の推薦入試を狙っていた。
僕が神道学科の存在を知るのは3年の夏休み終わり頃のことだった。
全く関係ないが、この年に僕の学校の真横でドラマの撮影があり、木村拓哉が来ていました。結構小柄な人だった。
そう思ったのは僕だけではなかったらしく、英語教諭が試験問題に「木村拓哉は思ったより小さかった、を英訳しなさい」という問題を出題していた。ちなみにこの教諭は夏休みの宿題に英語ドリル1冊を提出するように、と言ったのに2学期になっても回収しないまま終わった人である。忘れていたのか何なのか。一応必死に解いたものの、下手に回収されて採点されても困るなあと考えた生徒達は、誰一人として「回収しないんですか?」と尋ねるものはいなかった。
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プロフィール
HN:
榊原恭一郎
性別:
男性
職業:
営業事務
趣味:
読書、DVD鑑賞、SD、ネット等インドア趣味
自己紹介:
大卒後神主×年→無職2ヶ月→会社員10ヶ月→鬱病になって療養しつつ無職6ヶ月→念願の事務職に就職。
2回連続問題ありで離職率の高い職場を選んで体を壊しているので、次こそはマトモな所を狙って就職活動したつもりです。超アナログではあるけど居心地は悪くないと思う。
夢は経理事務だったけど営業事務職、年収300万以上を夢見た結果、その夢は叶う職場(のはず)です。求人票に嘘がなければね。
そんな駄目人間風味のコーヒー飲まないスターバックスファンのブログ。スタバグッズ蒐集が趣味。他にも色々集めてます。
2回連続問題ありで離職率の高い職場を選んで体を壊しているので、次こそはマトモな所を狙って就職活動したつもりです。超アナログではあるけど居心地は悪くないと思う。
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